徒然なる宗教観15真言宗(密教)第三章・密教の悟りの世界

 どの宗教も多かれ少なかれ、悟りの世界というのがあります。この境地に至れば心休まり、安定した精神生活が送れ、幸せを得ることが出来ることを目指しています。

密教ではこの悟りの境地に至るため”身・口・意”を実現することが必要と言われています。この“身”は所謂菩提心といわれ、仏を信ずる心というか、要は自分は自分の力だけで生きているという錯覚を捨て、全地球・全宇宙のありとあらゆるものから“ご縁”を頂いて生かされているという自覚を持ちそのような謙虚で純粋な気持ちになる事が仏の心に重なるということだと思います。

次に”口”(く)ですが、これは口ではなく、むしろ言葉を意味するようです。言葉というのは他人に対し大きな影響を与えます。我々の生活の中で他人と話ができるということは大きな幸せです。しかし人と話をするとき相手の立場を考え、また打算のない話ができることが大事で、相手を受け入れつつ、こちらの思いを語り、その中に安らぎと自分の居場所を自然に感ずることが出来るようなことが大切のようです。つまり仏教的に言うと”大悲”を持って語るということになるようです。大悲とは思いやりの心というべきものでしょうか。

 最後の“意”は悟りを得るための心構えとも言うべきもので、仏教でいうところの”六波羅蜜”の実行を目指すものです。六波羅蜜というのは悟りに至る必要な修行のことで、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知恵・という六つの項目について努力を続けることを求めています。これは順に、他人に対する施しの実行・規律を守る・我慢する・勉強をする・座禅をする・自己を知る知恵を出す、という意味だと考えてよいと思います。この六つの行動が自然にできるようになることが悟りへの道というわけです。

ここで一つ問題は、これがインチキ宗教に悪用されかねない項目で、特に布施は最近のいかがわしい宗教に悪用され、多額の財産を巻き上げて運営しているケースがあります。これは当今の宗教活動が形骸化し、若者に対して強い説得力が持てないすきを狙って、心のよりどころを求めている若者に付け入る口実となりやすいことです。

 この意味で現代宗教の立て直し、近代化の重要性を感じています。


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