ITロボット塾第一章 設立のいきさつ

ITロボット塾第一章 設立のいきさつ


第一章 設立のいきさつ

ITロボット塾は今から8年前の2014年に創立されました。当時、私は〈浜松ソフト産業協会〉というNPO団体の理事長に推され。ソフト技術者でもない私がこの団体を運営する羽目になりました。そのいきさつは当時、静岡同友会浜松支部(現 浜松経済同友会)が毎年開催している、浜松市への提言をおこなう〈同友会サミット〉と称する会合がありました。

 ちょうど私がこれを担当する政策委員会の当番になり政策委員長としてテーマの設定を求められました。私は何をやればよいのかとメンバーに意見を求めたところ”それを決めるのがお前の仕事”だと言われました。

 そこで、私は〈ディジタル都市浜松〉というテーマで行うことを提案しました。みなさんのはんのうは”なんじゃそれは”という感じであまり評価は受けませんでした。当時、インターネットアドレスの枯渇(IPv4方式で)が騒がれておりました。しかしこれが次世代方式(IPv6)が実用化される目途が付きこれによってアドレスの枯渇問題は克服される見通しが立っていました。

 これは(IPv4)のアドレス許容量が全地球で40億個しかなかったのが、ほぼ無限になる方式です。つまり(IPv4)の40億をバケツ一杯の砂粒の数とすれば(IPv6)は地球いっぱいの砂粒の数に相当するというものでした。これを知って私は、インターネットアドレスが”だだむさもなく”使える使える時代の到来と、人間だけでなくものにもアドレスは振り当てられる時代を予測し、モノづくりの街浜松に大きなインパクトが来る予想をしたのがこの提案となりました。。これが後に〈IOT〉と言う名前で騒がれるようになりました。

 さらに、当時のNHKの特別番組で、”ディジタル ネイティブ”(Digital Native)という番組があり、米国で15歳の少年が化学反応をカード式にして簡単に学べる方法を考え、これを有名デザイナーや、印刷会社にNETを通じて依頼し、これを同じくネットで販売し1000万円稼いだという話が放映されました。これを受けたデザイナーや印刷会社は、てっきり相手は大人だと思って受けたといっていました。つまり、若い時から、デジタル世界と現実世界がシームレスにつながっている世代、生れつきディジタル世界にいるような子供をDigital Nativeと呼び、子供の頃からのディジタル教育の重要性が叫ばれていました。

そして浜松での子供に対するIT教育に熱心だった、当時の副市長・山崎さんの熱意もあり〈ITキッズ〉という名の子どものためのIT教育が静岡大学浜松キャンパスで浜松市・静岡大学・浜松ソフト産業協会の協力で開始され、現在も継続されています。ところが開設当時24名の募集に対し、350名近い応募があり、試験により選抜しましたが、せっかく応募して合格できなかった子供がかわいそうだし、またそれだけ応募があることは、モノづくりの街浜松の未来を背負うディジタル技術者の育成を民間でもやるべきだという意見がソフト産業協会の定期会合で出され、CIAメディア社の社長の福地さんが塾運営の経験者として選ばれ、10社程度の出資を受けITロボット塾は設立されました。



 

















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