ふじのくに未来財団理事長就任顛末記

 10月1日付で”ふじのくに未来財団”という一般財団が設立された。これは今まで静岡県が運営してきた物を”民営化”する受け皿として設立された物です。最初この財団から浜松フィルハーモニーを訪問された担当の方が、支援するから、登録団体に加われと熱心に進められ、また運営に苦慮している当楽団にしてみれば、有り難い話で早速登録した。

 そのときの話では、個人が不要になった図書を、しかるべき業者に送ればその買い上げ資金を財団に払ってもらったりして原資を作りそのお金を補助金に回すとの事であった。そんなにうまく行くのかなと首を傾げながらも損がない事だとおもった。

 その後は、なしのつぶてで、いっこうに資金援助はくる気配がなかった。そうこうするうちに、この”ふじのくに未来財団”の設立準備委員会の代表の方が昨年12月浜松に来られ、設立目的の説明会が元県西部事務所で開催された。知人に誘われ、うちの事務局長を伴って説明会に出席をさせてもらった。
縷々説明が有ったが、今ひとつその背景がつかめず、ただ”あたらしい公共”という言葉だけが記憶に残った。

 その後、代表委員の方に浜松までおいで願い、改めていろいろ伺ったり、当方の音楽活動や全くあたらしい概念の高音質の音響システムHHSS(Harmonized Hyper Sound)を用いた、SACD(Super Audio CD)の脳活性効果による認知症の予防や、実際の音を聞いていただいて、理解を求めた。それでも今ひとつこの団体の基盤や、活動内容がつかめず、次は静岡駅前にある”ふじのくにNPOセンターを訪問し、代表委員に色々伺って、その活動内容、県との関連を伺ったが、基本的に県とは関係がありません、という事でしたが、それで寄付していただける方が集まるだろうか、何か説得力が有る組織にならないと運営は難しいと感じていた。

 それでもやはり、将来この団体が目指す”公益法人”化を目指すというところに魅力(未練?)を感じ、さる5月の会合から準備会に出席していたしていた。
当時の会合はどのように基金を集めるか、が大きな問題で、一般財団を設立するには300万円以上の基金を集める事が絶対条件で有り、当時未だ200万円を少し超えたところだった。それを6月末までに集めないと一連の作業が滞るという事で、たった100万円を10数人かかって集められない実情を知って愕然とした。

 委員長は一人10万円拠出するか集めてくるように要請していたが、誰も応えない。聞いていて業を煮やした小生は、つい、6月末の時点で集まらなかった分に付いては、小生が拠出すると口を滑らせてしまった。結局お金は集まらず100万円を寄付するはめとなり、ミイラ取りがミイラにされてしまった感じだ。
まあ乗りかかった船と割り切って、”降り掛かる火の粉は受けて立つ”という我が信条に沿った物だとあきらめた。

 7月の準備委員会で、基金が基準を満たした事が報告されたが、今度はは理事長に予定していた元大学学長が高齢(85)を理由に理事長就任を辞退されたという事になり、事務局の準備委員が小生に理事長就任の依頼を提案した。本日中に決めないと手続きが間に合わないという。要するに他の選択肢がない状況となった。断れば100万円はドブに捨てた事になる。やむなく小生から2名の副理事長と一人副理事長が事務局長になる事を条件に承諾した。

 そしてやっとの事で準備が整い、一般財団設立の手続きに入った。その後の会議で、小生は、就任した以上所謂飾り物の理事長にはならない事を宣言し、頭と口は出すが体は使わないというのが基本姿勢である事を宣言した。

 小生の基本方針としては、基本的視点を”少子高齢化”による社会に歪みをただす、という事におく事を方針として述べ活動のカテゴリーを次の3点にする事を提案して了解を得た。即ち、

① 市民生活のなかで絆を強くし、児童の虐待や老人の孤独死等に目を向け、活力ある老後、見守りの有る社会の実現
② 芸術文化の普及による豊かな心作り
③ 製品開発を終了した、ベンチャーの経営指導や地元中小企業との協調推進による後継問題の解決。

基本的にこれらが了承されたのでこの線にのって運営をしていく、考えです。

皆様のご支援ご協力をお待ちします。

 


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