NY紀行(その5)マンハッタン1

NY紀行(その5)マンハッタン1

               ホテルの窓越しに見るマンハッタン

 ニュージャージーから一時間ぐらいで、マンハッタンのホテルに無事着いた。ここは、会社在職時代の定宿として使っていた、The NEW YORK PALACEという、マディソン通りとパーク通りに挟まれた、50,51街に面したホテルだ。
8年前に比べ改装されており少し戸惑った。ニューヨークは目立たないが日々変化している。

 通されたのが52階のツインダブル。例によって娘はまた夫婦は同じベットに寝るべしと、一つのフルサイズのベットの占拠を執拗に求めた。ニュージャージーのものより広いベットだったので試しに寝てみると何とかなりそうなので、今回は譲ることとした。娘はこのような高級ホテルには泊まるチャンスもないだろうし、”いびり”になってもいけないと辛抱した。

 夜、夕食を食べに、パークアヴェニュウに出て、昔のパンナムビルの地下にある”セントラルステーション”を見物して反対側に通り抜けたらもう42番街だった。ホテルの51番街の出口を出たから、10ブロックぐらいを歩いたことになる。右手に折れてこのままブロードウエイまで歩いていけば、何処かに日本食があるだろうと思っていた。

 ホテルのすぐ横にあったはずの日本食レストランが見えなかったのでもう店じまいしたかと勘違いしていたがこの日は日曜日で休みのためシャッターが下りていたので解らなかったのだと後で気付いた。たしか42番街のブロードウエイ側には何回か行ったことのある日本食レストランがあると思ったが、見つけることができず、ブロードウエイに出てしまった。

 ブロードウエイは、今、工事中で路はごった返していたが、人出は相変わらず多かった。日曜の所為か。一昔前までは人通りの少ない脇道は、何となく怖い感じがしたが、ニューヨーク市が警察官をを倍増して、治安改善に乗り出した結果が功を奏したらしく、今は夜道を歩いても安心感がある。

 結局45番街ぐらいのBISTOROと大書されたレストランに入った。名前からするとフランス料理かと思ったがイタリア系の大衆レストランだった。シーフッドのリングイニ(スパゲッティーの4角いの)は結構アメリカとしては旨かった。娘は同じものを頼んだが、後で今回の旅行中最もおいしかったと言っていた。家内はナポリタンかなんかで多すぎて持て余していた。いつもなら、代わって食べるところだが、今回はこちらも満腹だった。歳のせいか。

 翌日グラウンド0を目指し地図を頼りに地下鉄に飛び乗ったが、どうも様子がおかしく暫くして反対行きだと確信して次の駅で飛び降りて、反対側に乗り換えた。チケットは2時間乗り放題で有ったので問題は無かった。9.11が起きた時かなり時間がたってから現場を甥の案内で訪れたが、かなりかたずいていたと言え中心部は赤茶けた鉄骨がまだそびえていた。ビル街を歩いて行って突如正面にこれが視野に入ると、矢張りショッキングだったことを覚えている。

 あれからもう17,8年になるのか、その後が気になって今回のマンハッタン訪問の一つの目的であった。朝コーヒーを飲みすぎたか、歳のせいかトイレに行きたくなっていたが、地下鉄の駅にはあるだろうと思っていたのが見当たらず、トイレ探しに躍起のなったが、なかなか見つからず、結局バッテリー公園の入口まで言ってやっと見つけた。

 ここのは芝生の広場と、その先に自由の女神や、その昔ヨーロッパからの移民を受け入れた入国管理局(税関)の建物が望まれベンチに座ってこの景色を見るとさまざまなことが思い出された。昔家族を連れてきたことや、仕事関係の人の自由の女神を案内され、ひどく混んで、上までたどり着くのに30分以上かかったことなど、色々の思い出がよみがえってくる。

 さて気を取り直して、グラウンド0に向かったが、米国一となる高さのビルはほぼ外観は完成していた。しかし地上の工事の様子とメモリアルホールは見学者が多く、順番待ちの人がものすごい数で、あきらめて工事用のフェンスの外側を回るだけにとどまった。かって赤茶けた鉄骨が見えたところは、なにか巨大な恐竜の骨を想わせる鉄骨が組み上げられ、この中がホールになるらしい。今も多くの米国人が訪れるこの場所は、やはり米国人にとって強烈な記憶となっている。

 食事はノースピアで取ろうと、かって一度だけ商社の人間に連れられて訪れ、案外モダンな創作料理を食べたことを思い出し、そこを目指したが、すでに閉鎖同然で、たった一軒の低級食堂があるだけとい看板に出合った。ほかが人出が多いのにここはガランとしていていかにも寂れていた。

 やむを得ず踵を返し、またレストラン探しをしたが適当なところがなく、私はせめてトイレのあるレストランがいいと言ったのだが、家内が選んだのが、道端にテーブルを置いた、コンビニを大型にしたようなフードセンターで好みのものを買って、道端のテーブルで食べた。米国寿司の一つである〝ロブスター巻き”は結構おいしかった。寒かったので娘が〝うどんカップ”を追加で求めて暖をとった。

 〝トイレのあるレストラン”という要求を無視した罪滅ぼしか、娘がいきなり大きなコンピューターショップにとび込んで〝トイレはあるか”と聞いていた。私はアメリカは意外にこういううことに冷たい国だと思っていたし、なんとなく体裁悪くて駄目だと思っていたが、地下にあるトイレを案内してくれた。御礼に小物を買って出てきた。

 歩くことには自信を持っていたのだけれど、矢張り本年”喜寿”の祝いをした私の歩幅は確実に狭くなっていて、それほど足早とは思えない娘がとことこと歩いて行くのについていくのがやっとであった。折角見物にやってきてなにも街を見ずに歩くとは何事かと、少々むかっ腹で叫び、地下鉄の入口に腰をおろし、”恐竜の骨組”やあたりの風景をしばし眺めた。

 カメラと、水のボトルぐらいしか入っていないショルダーバックが妙に重く感じ、こんなはづではなかったにと、またぞろ歳を考えさせられた。ホテルに帰りしなに、ホテルの横の日本食レストランが開店準備をしているのを見つけ、早速中に入って、夕食の予約をして、愁眉を開いて部屋に戻った。今夜は心置きなく日本食・・・

 

 


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