”萩”駅全景
さて、下関から萩というのがややこしい。だいたい”新下関”という山陽新幹線自体の駅が、旧山陽本線の”下関駅から1キロも離れたところにあるので、はじめて来る人間には戸惑いがある。これは山陽新幹線の関門トンネルを掘るとき、スピードの速い新幹線を通すには、山陽本線の関門トンネルより勾配をなだらかにしなければならないため、どうしても駅が同じ場所にすることができなかったためという。したがって新駅の周りにはほとんど店がなく、食事は駅構内のうどん屋かパンやのイート・インしかない。
この”新下関”から次の新幹線駅の”厚狭”(あさ)まで一駅10分”こだま”に乗る。ここから通常は”美祢線”と呼ばれるJRで日本海側の長門まで出るのだが、一年前の豪雨で線路が土砂崩れで大破し、未だに回復していない。ここでは、”伯爵夫人”と呼ばれる蒸気機関車が一日2往復走っていたというが乗り損ねた。現在復旧工事を続けているがいつ開通するかは分かっていないらしい。
萩付近の海岸風景
ということで、この間をバスが1時間20分かけて代行運転している。昔は山越えのバスと言うとあの舗装をしていない凸凹道を砂煙を巻き上げながら走る姿が想像されたが、いまでは完全舗装され、両側の山の新緑や川のせせらぎがを見ながら快適だった。ただJR”代行”運転のためか、途中の動いていない美祢線の各駅に立ち寄るので、そのために国道を離れ細い道をわざわざ無人駅まで乗降客を連れに行くのが厄介だった。これがなければおそらく1時間で行ける。
終点の長門駅に着きここから”山陰本線”の1両仕立てのワンマンカー(電車?)で本日の目的地の”萩”に30分ほどで着いた。駅に降りて、無人の改札口を出ると、誰も人がいない駅前広場ががらんとしていた。バス・タクシーなど影も形もない。駅舎は立派で、正面玄関に入ると中は小さな博物館になっていた。ややパニックになって人影を求めたが誰もいない。やっと昔の交番の詰所のような形の古ぼけているが風格のある”自動電話”と看板がある電話ボックスを見つけ、中に張り紙がありタクシー会社の電話番号が書かれていた。携帯からタクシーを呼びやっと宿にたどり着いた。
後で聴けば、現在は”萩”の正面玄関は、次の駅の”東萩”でそこにはタクシーもいるという。今回使った旅行社はではこうした情報はないのか、担当者がうかつだったのか、こうした事も今後は気をつけないと
途方に暮れることとなると思った。さて次回は山口県の旅最終扁(萩)